2025年04月08日
米国東海岸で見たもの 05 車検
約三十年前に米国ニュージャージー州に1年間滞在させて頂いた際に見聞きしたこと、それに触れるシリーズの5回目です。
1980年代後半に2年間過ごしたカリフォルニア州には車検がありませんでした。車を買い替える際に「ガステスト」という排気ガスの検査を民間の修理工場で受け、その合格証を買い手に引き渡すという段取りだったと記憶しています。そのガステストもマフラーのテールパイプから棒状のテスターを突っ込みエンジンをふかすだけのもので数分で終了しました。カリフォルニア州での公的自動車管理の事情は斯様に「(ある意味で)いいかげん」でした(※)。思うに、車が無いと何もできないに等しい社会なので、それこそ、「各個人が自動車の維持に努めて下さい、ただし安全運転には責任を持ってください」という方針ではなかったのでしょうか?実際、「方向指示器が壊れた時は〇〇してください」「ヘッドランプが壊れたら夜は運転しないように」というレベルの縛りしかありませんでした。土地の広さや雨が殆ど降らない気候などがその背景にあったと思われます。他方、交差点での一旦停止やスクールバス対応、制限速度などの遵守についてはとても厳しいものがありました。
ところが、ニュージャージー州には車検がありました。この点で「日本に近い制度」と感じたのかもしれません。カリフォルニア州では許されていた「赤信号でも安全確認できれば右折(日本での左折)は合法」がニュージャージー州では違反だったのもその感覚に加算されたと思われます(※※)。
ニュージャージー州の車検は、当時、1年に1回だったと記憶しています。日本と違ったのは、所有者が自ら試験場に自車を運転してゆく方式だったということです。私の時にはかなり長い車列が試験場にできていました。のろのろと進むその列に加わり、しばらく行くと係員の指示がありました。詳細のすべてを覚えていないのですが、左右の方向指示器を検査員の前で動作させる、ヘッドランプを点灯させる、を大きな鏡の前で自ら視認しながら実施したと思います。鏡は「本人も機器の良否を見ているよね」という確認の合意という意味合いで設置されていたと思われます。ローラーの上でエンジンをふかすテストもあったようですが、記憶に確信を持てません。1台当たりの試験時間は2~3分で、車列での待ち時間の方がはるかに長いものでした。
※)私の日本車は日本人に代々受け継がれていたカローラ1800㏄でしたが、私が乗っている間にペダルを踏み込んでもクラッチが切れなくなったり(単にクラッチオイルが切れただけかもしれませんが当時は知識がありませんでした)、マフラーのテールパイプが欠け落ちてエンジンの吹き上がりが異常によくなったりしました。日本の車検には絶対に通りそうもない状態でも平気で使用していたということです。帰国時に次の人に売る前に、その人のガステストに備えて、一応、専門修理店にマフラー全体を交換してもらいました。が、次の人は廃車にしたと風の噂に聞きました。しかしながら、自身で乗り回していたころには、我がカローラにロサンゼルスまでの往復4時間を結構な頻度で頑張ってもらいました。高速道路の途中に日本ではありえない急坂(中央高速の勝沼IC⇒初狩PAよりも急です)があって、我がカローラはアクセルを床まで踏みつけても青息吐息となり、大排気量のいわゆる「アメ車」に軽々と抜かれていったものです。
※※)ニュージャージー州の隣のニューヨーク州では合法だったので、州境を超えるときには緊張しました。
なお、カリフォルニア州もニュージャージー州も現在は異なる点検方式になっているようですので、上記はあくまでもご参考程度に留めてください。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、このシリーズの最初はこちらです。

1980年代後半に2年間過ごしたカリフォルニア州には車検がありませんでした。車を買い替える際に「ガステスト」という排気ガスの検査を民間の修理工場で受け、その合格証を買い手に引き渡すという段取りだったと記憶しています。そのガステストもマフラーのテールパイプから棒状のテスターを突っ込みエンジンをふかすだけのもので数分で終了しました。カリフォルニア州での公的自動車管理の事情は斯様に「(ある意味で)いいかげん」でした(※)。思うに、車が無いと何もできないに等しい社会なので、それこそ、「各個人が自動車の維持に努めて下さい、ただし安全運転には責任を持ってください」という方針ではなかったのでしょうか?実際、「方向指示器が壊れた時は〇〇してください」「ヘッドランプが壊れたら夜は運転しないように」というレベルの縛りしかありませんでした。土地の広さや雨が殆ど降らない気候などがその背景にあったと思われます。他方、交差点での一旦停止やスクールバス対応、制限速度などの遵守についてはとても厳しいものがありました。
ところが、ニュージャージー州には車検がありました。この点で「日本に近い制度」と感じたのかもしれません。カリフォルニア州では許されていた「赤信号でも安全確認できれば右折(日本での左折)は合法」がニュージャージー州では違反だったのもその感覚に加算されたと思われます(※※)。
ニュージャージー州の車検は、当時、1年に1回だったと記憶しています。日本と違ったのは、所有者が自ら試験場に自車を運転してゆく方式だったということです。私の時にはかなり長い車列が試験場にできていました。のろのろと進むその列に加わり、しばらく行くと係員の指示がありました。詳細のすべてを覚えていないのですが、左右の方向指示器を検査員の前で動作させる、ヘッドランプを点灯させる、を大きな鏡の前で自ら視認しながら実施したと思います。鏡は「本人も機器の良否を見ているよね」という確認の合意という意味合いで設置されていたと思われます。ローラーの上でエンジンをふかすテストもあったようですが、記憶に確信を持てません。1台当たりの試験時間は2~3分で、車列での待ち時間の方がはるかに長いものでした。
※)私の日本車は日本人に代々受け継がれていたカローラ1800㏄でしたが、私が乗っている間にペダルを踏み込んでもクラッチが切れなくなったり(単にクラッチオイルが切れただけかもしれませんが当時は知識がありませんでした)、マフラーのテールパイプが欠け落ちてエンジンの吹き上がりが異常によくなったりしました。日本の車検には絶対に通りそうもない状態でも平気で使用していたということです。帰国時に次の人に売る前に、その人のガステストに備えて、一応、専門修理店にマフラー全体を交換してもらいました。が、次の人は廃車にしたと風の噂に聞きました。しかしながら、自身で乗り回していたころには、我がカローラにロサンゼルスまでの往復4時間を結構な頻度で頑張ってもらいました。高速道路の途中に日本ではありえない急坂(中央高速の勝沼IC⇒初狩PAよりも急です)があって、我がカローラはアクセルを床まで踏みつけても青息吐息となり、大排気量のいわゆる「アメ車」に軽々と抜かれていったものです。
※※)ニュージャージー州の隣のニューヨーク州では合法だったので、州境を超えるときには緊張しました。
なお、カリフォルニア州もニュージャージー州も現在は異なる点検方式になっているようですので、上記はあくまでもご参考程度に留めてください。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、このシリーズの最初はこちらです。
↓ 現在のニュージャージー州の車検の様子。こちらから転載させて頂きました。

Posted by 島田市岸町の工学博士 土屋昌弘(つちやまさひろ) at 04:39│Comments(0)
│社会