2025年04月03日

米国東海岸で見たもの 01 道路工事

 約三十年前、米国ニュージャージー州の研究所に1年間滞在させて頂きました。その際に様々なことを見聞きしました。その一部は既に他で紹介しましたが、このシリーズではご案内していない点をオムニバス形式で述べてみたいと思います。なお、30年前の見聞ですので、現在は異なる様相を示している可能性は十分にあります。その旨をご理解頂いた上でご高覧頂ければ幸いです。

 借りていたアパートから研究所まで日本車で通勤していました。40分くらいかかったと記憶しています。途中、片側2車線で速度制限が時速50マイル(=時速80km)の道(ハイウエイ扱い)を通りました。ニュージャージー州の当時の道路の多くには歩道が付随していませんでしたし、道路の脇には住宅街や農地があるだけでなく森林がそのまま残されているような環境もありました。ニュージャージー州の現在の人口は1000万人弱で当時とほぼ同じ、面積は2.2万平方キロメートル。米国としては人口密度の高い州(ワシントンDCに次いで2番目)ですが、静岡県と山梨県と愛知県と三重県を合わせた面積に4県合計人口1400万人弱が集まる静岡県周辺よりは低い人口密度です。森の中を走るハイウエイがあっても不思議ではありません。上記ハイウエイにはガードレールも無ければ、中央分離帯もありませんでした。

 ある日の朝、その道路の片側の2車線がふさがっていました。パトカーが止まっていて1名の警察官が反対側の2車線のうちの片方に誘導していました。交通事故かと思って進んでみると、再舗装工事が始まっていました。工事区間は数キロありましたが、交通規制は2・3日で終わったと記憶しています。

 第一に驚いたのは、先のパトカー1台と警官一人だけが交通規制の担当だったことです。この「警察による道路工事交通規制」はとても威力があって、車通勤の人々は整然とその指示に従っていました。立派な体格の白人警官はにこやかな顔で指示を出していました。こんな(賢い)方法があるのだと感銘を受けました。警官に逆らって無茶なことをする人は滅多にいません。一人では規制区間全体に目が届くことは無かったと思われますが、「あそこに警官がいたよな」と通行車の運転手は記憶するので、規制区間の最後まで従うはずです。「人件費を浮かすためには最良の工夫ではないか、、。」とついでに考えたことは秘密です。

 さらに驚いたのは、その数キロに亘る工事に携わっていた作業者が4人だけしか見当たらなかったことです。大型の工事車両数台を運転・操作する人たちだけでした。「作業に問題が生じた際に指示を仰ぐ人がいなくて支障ないのかな?」とも感じました。その工程は、たまたま、少人数で実施しても問題が無いと判断されただけだったのかもしれませんが、強烈な記憶として残りました。一方で「事前調査や工事計画で責任者が綿密に知恵を絞った結果かもしれない」とも感じました。日本で流行する「やってみないと分からない」(※)を避け「事前によく考える」が米国の一般的慣行なのかもしれない、、と考えたのはこれまた秘密です。

※)「古寺巡礼」などの著書で有名な和辻哲郎氏。氏の「鎖国」という書籍の序説には、第二次世界大戦での日本の敗北と悲惨な結末の原因が分析されています。「推理力による把握を重んじない」という民族の性向があり、「推理力によって確実に認識せられ得ることに対しても『やってみなくてはわからない』と感ずるのがこの民族の癖である。それが浅ましい狂信がはびこる温床であった。」と記されています。なるほどと独り言ちました。

 このシリーズはこちらに続きます。

↓ 私が目撃したのはこの写真に写っているダンプと舗装機器が一体化したような巨大な装置でした。色も全体が黒かったと記憶しています。こちらから転載させて頂きました。
米国東海岸で見たもの 01 道路工事
↓ こんな感じの片側二車線道路でした。写真では中央分離帯や縁石が設けられていますが、上記のハイウエイではそのようなものは何もありませんでした。こちらから転載させて頂きました。
米国東海岸で見たもの 01 道路工事





Posted by 島田市岸町の工学博士 土屋昌弘(つちやまさひろ) at 05:49│Comments(0)社会
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
米国東海岸で見たもの 01 道路工事
    コメント(0)