2025年05月12日

世界の科学技術アカデミー 03 グンデシャープール大学(ペルシャ)

↑ グンデシャーブールの廃墟。こちらから転載させて頂きました。
↑ 1960年代のグンデシャーブール大学で副学長に選出されたTal'at Bassari(طلعت بصاري) 博士(1923-2020)。こちらから転載させて頂きました。
----
----

このシリーズでは世界の様々な科学技術アカデミーを紹介しています。第三回目は現在のイランの南西部フージスタン州(استان خوزستان、Khuzestan province)にあったグンデシャープール大学(فرهنگستان گندی‌شاپور, Academy of Gondishapur)です。紀元3世紀から8世紀頃まで続いた大学です。

グンデシャープール大学は、ササン朝ペルシア時代(3世紀)に設立された学術センターで、医学、哲学、数学、科学、技術、天文学などの分野で世界的に知られていたそうです。イスラム黄金時代(8世紀以降)にもその影響力を維持し、ヨーロッパやイスラム世界の学術に大きな影響を与えたとのことです。

特に、医学の先進性は秀でていたようで、紀元6世紀と紀元7世紀には世界で最も重要な医療センターを形成していたとのこと。世界初の体系的な病院システムを確立し、臨床教育や実践的な医療訓練を行ったようです。このシステムモデルは後のイスラム世界やヨーロッパの病院制度に影響を与えたとのことです。

また、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の皇帝によって閉鎖されたアテネなどのアカデミアから多くの学者がグンデシャープール大学に移り、学問の中心として栄えたようです。 結果、ペルシア人だけでなく、ネストリウス派キリスト教徒やインド人など多様な学者が集まり、知識の交流が盛んにおこなわれたとのこと。

上記のような国際性から、 ギリシャ、ペルシア、インド、シリアの知識を統合され、翻訳運動を通じてアリストテレスやヒポクラテスの著作が保存されるとともに発展につながったようです。

紀元7世紀にササン朝ペルシアが滅ぼされ、 イスラム帝国のウマイヤ朝からアッバース朝に移った時代には、グンデシャープール大学の知識が(先にご案内した)バグダッドの「知恵の館」に引き継がれたそうです。それがイスラム黄金時代の学術的繁栄の基盤となったとのこと。

グンデシャープール大学は、現代の病院や大学の原型とも言える施設と位置付けられ、イラン史上最も影響力のある学術機関の一つとされているようです。

なお、グンデシャープール大学の遺産は、1955年にアフヴァーズ市(اهواز、Ahvaz)の近くにグンデシャープール大学とその姉妹校であるグンデシャープール医科大学が設立されたことで記念されたそうです。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。このシリーズの初回はこちらです。
〉〉〉〉
  


Posted by 島田市岸町の工学博士 土屋昌弘(つちやまさひろ) at 06:26Comments(0)島田科学技術教育振興会