2025年04月02日
黒澤明監督の「野良犬」と「生きる」に感銘を受けました
NHKBSで黒澤明監督の初期の映画を2本見ました。例によって、気付いたことがあったのでそれを記してみたいと思います。
「野良犬」では29歳の三船敏郎さんにまずは驚きました。もちろん、二枚目なのですが、「七人の侍」や「赤ひげ」とは全く異なる若々しさに圧倒されました。
また、1949年10月公開のこの映画で、当時の復興具合が窺えるのも興味深く感じました。撮影は終戦後4年頃で、就職難と言われた時期でした。多くはスタジオ内のセットを舞台としたようですが、上野の闇市のシーンは本物で撮影したとのこと。復興が進んだところとそうでないところの格差が象徴的でした。
主人公が真夏に白い背広を着ているシーンも心に残りました。というのも、私の祖母が「おじいちゃん(この映画のベテラン刑事役で主点されている志村喬さんと同世代です)は白い服を着て仕事に出かけて、昼には汗になったからと言って着替えに帰ってきた」とよく言っていたからです。物心がついてから後、白い背広を着ている人を目にしたことが無かったため、この映画で「初めて」となりました。皆さん、白いスーツで汗だくでした。祖母の言っていたことが理解できたように思われます。
プロ野球の実際の巨人南海戦が挿入されていたのも目に留まりました。特に、背番号16の川上哲治選手が。私の小学生の頃には「日本シリーズ9連覇を達成した名監督」であり、選手時代も「偉大な打者だった」と様々なところで書かれていました。「一体どんな重厚なプレイをしていたのか」と妄想していたのですが、映画で見た川上選手は」「意外とプレーが軽いな」というものでした、ファンの方にはすみません。なお、1949年時点での満員のスタジアムはすごいと感じました。
「生きる」については、ただただ「恐れ入りました」としか言えません。すみません。ただ、若い公務員の方には一見の価値があると感じた次第です。




「野良犬」では29歳の三船敏郎さんにまずは驚きました。もちろん、二枚目なのですが、「七人の侍」や「赤ひげ」とは全く異なる若々しさに圧倒されました。
また、1949年10月公開のこの映画で、当時の復興具合が窺えるのも興味深く感じました。撮影は終戦後4年頃で、就職難と言われた時期でした。多くはスタジオ内のセットを舞台としたようですが、上野の闇市のシーンは本物で撮影したとのこと。復興が進んだところとそうでないところの格差が象徴的でした。
主人公が真夏に白い背広を着ているシーンも心に残りました。というのも、私の祖母が「おじいちゃん(この映画のベテラン刑事役で主点されている志村喬さんと同世代です)は白い服を着て仕事に出かけて、昼には汗になったからと言って着替えに帰ってきた」とよく言っていたからです。物心がついてから後、白い背広を着ている人を目にしたことが無かったため、この映画で「初めて」となりました。皆さん、白いスーツで汗だくでした。祖母の言っていたことが理解できたように思われます。
プロ野球の実際の巨人南海戦が挿入されていたのも目に留まりました。特に、背番号16の川上哲治選手が。私の小学生の頃には「日本シリーズ9連覇を達成した名監督」であり、選手時代も「偉大な打者だった」と様々なところで書かれていました。「一体どんな重厚なプレイをしていたのか」と妄想していたのですが、映画で見た川上選手は」「意外とプレーが軽いな」というものでした、ファンの方にはすみません。なお、1949年時点での満員のスタジアムはすごいと感じました。
「生きる」については、ただただ「恐れ入りました」としか言えません。すみません。ただ、若い公務員の方には一見の価値があると感じた次第です。
↓ 映画「野良犬」。こちらから転載させて頂きました。

↓ 映画「生きる」の冒頭シーン。こちらから転載させて頂きました。

↓ 映画「生きる」の市民陳情シーン。こちらから転載させて頂きました。

↓ 映画「生きる」の主人公が「生きる」に目覚めて立ち上がったシーン。こちらから転載させて頂きました。

Posted by 島田市岸町の工学博士 土屋昌弘(つちやまさひろ) at 05:35│Comments(0)
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